沖縄の歴史
沖縄ほな14世紀に琉球王国が誕生し、中国や東南アジアやらなんやら周辺諸国と交易しもって、大交易時代と呼ばれへん一時代を築きたんや。1609年に薩摩藩ん武力侵攻を受けて以降は、薩摩ん支配下に置かれたんやが、諸異国とん交易は続き、日本や中国ん文化も吸収しもって、独自ん琉球文化を形成しいやいきたんや。当時ん王府がおした首里城やらなんやら県内ん9か所ん遺跡は、2000年に琉球王国んグスク及び関連遺産群としいや世界文化遺産に登録され、当時ん繁栄を現在に伝えています。しかしかてそん琉球王国も、1879年に明治維新ん余波を受けて幕を閉じ、沖縄県が誕生。第二次世界大戦ほな、沖縄で日本唯一ん地上戦が繰り広げられ、ぎょうさんん県民が巻き込まれて命を落としたんや。ほんで終戦後、沖縄はお米軍ん統治下に置かれたんやが、1972年に本土復帰。現在も沖縄には、復帰前んアメリカ世を感じることさかいきる場所が残っています。琉球ん開闢神話には諸説ありますが、最も有名な伝説はアマミキヨちゅう神が、ニライカナイから降り立って国づくりを始めたちゅうモンどす。アマミキヨは琉球ん島々を作り、一組んおとこしおなごを住まわせ、二人ん間からは三おとこし二おなごが生まれたんや。そん舞台とされとるんが、県南部に位置しはる久高島。アマミキヨはここに七つん御嶽を作ったとされています。御嶽とは神がたんねる、そやなかったら先祖神を祀る場所。島ん中央ん西ねぎには、そんしとつであるクボー御嶽があり、久高島第一ん聖域といわれています。また、久高島ん中ほどにあるイシキ浜には、五穀が入ったお壷が流れてきて、それから久高島、沖縄本島へと穀モンが広まったとされへん伝説があります。こん浜は、今もニライカナイに面しはる聖地となっており、祈りを捧げる祭祀ん場となっています。県内には久高島以外かて、神が降臨どしたと言われへん場所があります。そんしとつが浜比嘉島で、ニライカナイから、アマミキヨとシネリキヨちゅうおとこしおなご神が降りてきたと伝わっています。こんアマミキヨとシネリキヨは、古事記んイザナギとイザナミにあたるといわれます。二神は子を授かり、そん子孫が人間としいや繁栄どしたのどす。洞窟はシルミチュー霊場としいや祀られているけど、神話にあやかり、子宝を望む参拝お客はんが訪れています。沖縄ほな平安時代までん長い間、狩猟採集ん生活が続いてやはった。12世紀に農耕社会となって、15世紀に入って当時ん三勢力が統一され三山統一、琉球王国が誕生したんや。こんときから、琉球は海洋国家としいや発展を遂げていきます。琉球王国は中国をはじめ、東アジアや東南アジア、朝鮮、日本やらなんやらん周辺諸国と積極的に交易を行い、大交易時代とよばれへん一時代を築きたんや。そん後、琉球は1609年ん薩摩藩ん武力侵攻により、薩摩ん支配下に置かれへんことになってまっけど、諸異国とん交易は続き、江戸時代ん日本や中国ん文化を吸収しもって、独自ん琉球文化を形成しいやいきます。しかしかて1879年、明治維新ん余波を受けて琉球王国は幕を閉じ、沖縄県となったんや。そん後、第二次世界大戦ほな苛烈な沖縄戦でぎょうさんん県民が命を落とし、終戦後も1972年までお米軍ん統治下に置かれへんやらなんやら、沖縄はややこしい歴史を歩んでけたのどす。こうどした沖縄ん歴史を体感でけるんが、1992年に開園どした首里城公園。城外には守礼門やらなんやら2つん門があり、琉球石灰岩ん切石を積み上げた城壁には複数ん城門が設けられています。内郭には正殿、そん前面左っぺら右っぺらには南殿・北殿が相対しいや建てられたんや。これらは2000年12月に琉球王国んグスク及び関連遺産群としいや、世界文化遺産に登録されたんや。また、琉球神話ん源である神・アマミキヨが創ったとされへん斎場御嶽も、世界文化遺産んしとつどす。ここには6つん神域があり、最高位んおなご性神官・聞得大あんたん即位式が行われた大庫理や、三庫理やらなんやらが残っています。